2012年5月23日 (水)

男は捕まる

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時刻は夜中の3時過ぎ。

こんな時間に1人の女――若い女が、暗い山道からこちらを見下ろしている。
それだけ考えると、これは異常なことに思えるが…

女は至って普通の格好…レザーのロングコートを着ていた。

季節柄、そして時間的にも今は少し肌寒い。
だからその服装は当然のものだ。
もし女の服装が、こういう場面にありがちな白のワンピースなどだったら、俺は間違いなく全力で逃げ出していただろう。

しかしその女は、余りに普通の格好をしていた。

…暗がりで明かりを持っていない、という事以外は。

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暗闇に目が慣れていたとはいえ、女の顔はよく見えなかった。

明かりがあるのはこちらの車道に沿った道だけで、女が立っている山の上に続く一本道は真っ暗だからだ。

しかし、月明かりだけでもその女が美人であることは分かる。
むしろその光加減で、一段と美しく見えているのかも知れない。
あの屋敷の娘にどことなく似ている感じがするが…俺はこっちの方が好みだな。

俺はもう少し良く見ようと思い、一歩前に踏み出す。
…すると女はクルリと後ろを向き、山の上へと消えていく。

――さて、2択だ。

追うか、追わざるか。

女は去っていく瞬間、フッと笑みを浮かべたように見えた。
…まるで、こちらを誘うかのように。
勘違いかも知れないが、少なくとも俺にはそう見えた。
そしてそうまでされたら、こちらの行動は決まっている。

部屋に娘が居なかったため、俺の中にはある種の欲望が渦巻いているままだった。
もちろん、相手が明らかに異常な存在であったのなら、こんな気は起きなかっただろう。
しかし、あの女は生身だ。
それなら問題ない。
力で負ける気もしないし、そもそも向こうが誘っているのだ…。

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車道から外れたその山道は、そこまでの道と同様に緩やかな坂道であったが、余り舗装がされていなかった。

階段状ではなく坂道になっているのは、車椅子の娘のためだろう。
1人で登るには多少骨が折れそうだが、誰かに押してもらえば楽に登れそうな道だ。
もっとも、金持ちのお嬢さまがわざわざこんな山道を登る理由もなさそうだが…。

女は暗闇の中、振り向くことなく山道を登っていく。
明かりもないのに、大したものだ。

相手は走っている訳では無いので、一気に距離を詰めることも出来そうだが、俺はその足跡を追う形で大人しくついていくことにした。
この先に何があるかは知らないが、女には目的地があるようで、どうやらそこまで俺を連れて行きたいようだ。

…もちろん、警戒は怠らない。

気が付くと崖から突き落とされていた――なんてのはゴメンだ。

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数分歩いたところで坂道が終わり、少し開けたところに出る。

そこは山の頂上でもなく、展望台と呼ぶのもおこがましいところで、
辛うじて雨くらいは避けられそうなくたびれた屋根と、誰も座ることが無さそうなベンチがあるだけの広場だった。

女はそこで歩く速度を落とし、崖に面して作られた、大人の胸の高さ程ある柵へと向かう。

俺も釣られるようにそこに向かい――ハッとする。

…絶景だ。

そこからは町を一望でき、深夜なので灯りは疎らだったが、それでも十分に美しい景色だった。
こういうのを、きっと宝石箱と言うのだろう。
この俺でさえそんな風に思えるのだから、まともな人間ならもっと感動的なはずだ。

俺は女の横に立ち、しばらく景色に魅入ってしまう。

すると…

女「良い景色でしょう?」

その女が初めて口を開いた。

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俺「…あぁ」
女に向き直り、答える。
そこでやっと、俺は相手の顔をはっきりと見ることができた。

――やはり美人だ。目鼻立ちの整った良い顔立ちをしている。
長く伸びた黒髪も良い。
そんな女が、俺のすぐ目の前に、微かに笑みを浮かべたような表情で立っている…。

どうしてくれようか?

相手も望んでいるのなら、有無を言わさず襲い掛かるのもアリか?

…いや。
少しくらい話をしてやるか。

俺「…あんた、こんなところで何してんだ?」

当たり障りの無い――しかし一番知りたかったことを聞いてみる。

女「考え事を、ちょっとね」

サラリと答えてくる。
殆ど意味の無い答えだ。

俺「俺に何か用があんのか?」

誘ってきたのだからそうだろうと思い、聞いてみる。
…すると、俺の望む答えが返ってきた。

女「そうよ。貴方が欲しいの」

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俺はニヤリとほくそ笑む。

…話が早い。

そう思って女に向かって一歩踏み出す――と。

女「堀塚の家…驚いたでしょう?」
俺「…は?」
女「誰とも会えず、何も盗めなかった」

…何?

女は笑みを浮かべたまま、こちらを見ている。

俺「…何か知ってんのか?」

俺がそう聞くと、女は視線を落とす。
何となくその視線の先を追うと、崖に面した柵の元に花が添えてある。
暗くて気付かなかったが、これは――

女「あの家は特別なのよ」

俺「特別?」
女「そう」

視線を戻すと、女は柵に手を掛け、町を見下ろしながら呟く。
女「この中でも、特に…」

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俺「どういう意味だ?」

どうでも良さそうな話だが、少し興味を引かれる。
何しろあの家は…やはり異常だったからだ。
俺には、少なからずその理由を知りたい気持ちがあった。

女「この町に古くからある家には、秘密があるの」
町を見下ろしたまま、女が言う。

俺「秘密?」
女「その家に生まれた女性には、ある素質があるの。…二十歳くらいまでに覚醒しないと消えてしまうけどね」
俺「何だ?何の素質だ?」

女「魔女になれる素質よ」
俺「…ハァ?」
魔女?こいつ、何言ってんだ?

女「信じられない?」
そう言いながら、女がこちらに向き直る。

俺「…無茶な話だな」
頭がおかしいとしか思えない。

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女「言い方が悪いかしらね…。所謂、霊感の強い女性よ」
俺「…」

霊感?
霊だの何だのと言われたところで…

女「堀塚の家で、異常な体験をしたでしょう?」

俺「それが何だ?説明できるのか?」
女「簡単な話よ…」
冷ややかな目で俺を見つめながら、女が言う。
…少しゾクッとするような目つきだ。

女「堀塚家の女性は、予知の力を持っているの」
俺「予知?」
女「そう」

また、突拍子も無い事を。
そんなものは――…いや、しかしそれなら…?

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俺「それはまた、大層な話だが…。じゃあさっきのあれは、俺が来ることが分かっていたからだと?」
女「そういうことね」

予め俺が見て回る部屋、場所を全て把握されていたって訳か。

…馬鹿げている。

そうだ。そもそも、そうと分かっているのなら――

俺「なら、警察にでも通報しておけばいいじゃねぇか」
俺が言うのもおかしいが、それが普通だろう。

女「警察が信じると思う?今夜、強盗が入るので守ってください、って」
俺「…しらねぇよ」
女「巡回にくらいは来てくれるかも知れないけど、それだと貴方、日を改めるだけよね」
俺「…」
女「入るだけ無駄だ、って分からせる方が効果的よ」

…そういう考え方もあるのか。
確かに俺は今、二度とあの屋敷には行きたくないと思っている…。

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俺「まぁ…それはもういい。その話は分かった」

あの家でのことは、それで良い。
予知なんてものを信じるかどうかは、この際どうでも良いことだ。
それより――

俺「で?あんたは何なんだ?」

俺は再び、女に質問を投げかける。
最初に俺が欲しいとか言っていたが、何故か急に変な話を始めて、何がしたいのかさっぱり分からない。

女「最初に言った通りよ。貴方が欲しいの」
俺「じゃあ――」
女「正確には、私の手足になって欲しいの」
俺「手足?」

女「そう。私の兵士になって」
俺「…」

兵士?
変わった表現だが…駒になって、従えってことか?

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俺「フン…。意味も無く従うと思ってんのか?」
そう言いながら、俺はゆっくりと女の目の前まで詰め寄る。

俺「俺は、従わせる方が好きだしな…」
手を伸ばせば届く距離だ。
掴み掛かれば、腕力で負けることはないだろう。
だが女は少しも動じる気配を見せず、澄ました顔でこちらを見つめている…。

気に入らねぇ。

何様のつもりか知らないが、この、人を見下す態度。
相手が男だろうが女だろうが、気に入らねぇ。

俺を言い包めるつもりだったのだろうが、俺はそんな単純ではない。
頭の良さそうな女だが、この世の中、結局は腕力がものを言うのだと思い知らせてやる…。

…と。

女「死ぬわよ」
唐突に、女が言う。

俺「あぁ?」
女「このままだと、貴方、死ぬわよ」
何言ってんだ?死ぬ?…俺が?

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俺「ふん…。今度は何だ?」
馬鹿馬鹿しい。
ため息が出ちまう。

俺「脅し文句にしては、つまらねぇなぁ」
俺は女を睨み付けて言う。

女「自分が呪われている事に、気付いていないのね」

…ヤレヤレだ。

これはアレか?
あなたは呪われています。このままでは死にます。
助かりたければ、ああしろこうしろって?

俺「あんた、ふざけるのも――」
女「首を吊っていた夫婦の霊ね」

俺「…は?」

突然の事に、体が固まってしまう。
首を吊っていた夫婦だと?
こいつ、何で…

女「貴方もバカな事をしたものね」

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俺「何でだよ…」

全身から、急速に力が抜けていくのを感じる。
俺は話していない。
俺は、あの時のことを誰にも話していない…。

女「2週間ほど前、貴方はあるアパートの一室に盗みに入った」
俺の様子などお構いなく、女が淡々と話を始める。
…俺が体験した、誰にも話していない話を。

女「小さな木造のアパート。そこには、50過ぎの夫婦が暮らしていた」
そう。暮らしていた。木造のボロアパート…。

女「時刻は0時過ぎ。小銭稼ぎのつもりで部屋に入った貴方は…居間の中央で、首を吊っている夫婦を見つけた」

吊っていた…。
あぁ…思い出す…思い出してしまう。あの時のことを。

盗みに入ったその家で、それぞれの体をロープに委ねていた2人。
足元には、踏み台に使ったのであろう簡素な椅子が転がっていた。
あれは正に衝撃的な光景だった。

だが、それを見て俺は…

――あぁ、あれが間違いだったのか?

俺はそこで逃げ出す事もせず、首を吊っている2人を尻目に部屋の物色を始めたのだ。

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女「そんなものには動揺しない、強い自分を演じた?…でも、代償は大きかったわね」
俺「…」
女「どこかに大金があるような、そんな状況の家とは思えないのにね」

そうだ。少し考えれば当たり前のことなのに。
俺はただ、逃げ出すのが嫌なだけだったんだ。堂々としていたかったんだ。

女「物色を続けながらも、貴方は夫婦の方を見ないようにしていたわね」
俺「…」

まるで、そこで俺のことを見ていたかのように言う。
確かにそうだった。
俺は、ずっと夫婦に背中を向けて行動していた。
…そりゃそうだろう?
そんなもんを望んで見たいなんて、頭のおかしな奴だけだ。

女「でも視線は感じていた」
俺「く…」

こいつ…

女「でしょ?」
俺「そんな訳は、ない…」
女「そうかしら?」

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女「最初に夫婦の"向き"を確認してから、貴方は決してその正面に行かないように行動していたわね」
何で知ってんだよ…ちくしょう…

女「幸い、2人は何もない壁の方を向いていたから、特に困ることはなかったでしょうけど――」

何なんだ?こいつは。
…駄目だ。こいつが一番おかしい。
さっきの家の事なんかより、こいつが一番異常だ。
頭の中に警告が鳴り響く。これ以上話を聞いてはいけない。今すぐに逃げ出すべきだと。

…だが、足が動かない。
鉛のように重くて、足が動かせない…。

女「気付いたはずよ。その部屋にあった鏡台の前に立ったとき、鏡に映って見えたでしょう?」
鏡台の前に立った…あぁ、立った…。
そこで、俺は――

――見ていない。
俺は何も見ていない!
首を吊ったまま、クルリとこちらに向き直った夫婦の姿なんて、俺は見ていない…!

女「それから、貴方はすぐにその家から逃げ出した訳だけど…」

あぁ…、もう嫌だ。嫌だ…
俺は頭を抱えて、後ずさる。

女「良かったわね。突然、後ろから肩を掴まれるような事が無くて」

もう、やめてくれ…

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俺「分かった…。もう、十分、よく分かった」
俺は女を制止するように、手を向けながら言う。

俺「俺は…何をすれば良いんだ?何を望んでいる?」

こんなのはゴメンだ。
殴られ蹴られ、暴力で脅される方がまだマシだ。それなら俺だって負けやしない。
だが、こんな――意味も分からず頭の中に手を突っ込まれて、無理矢理全てを引きずり出されるようなのには、耐えられない。頭がおかしくなりそうだ。

女「最初に言った通りよ」
およそ感情のこもっていない声で、女が言う。

俺「あぁ…。駒になれってことか」
女「そう」
女が軽く微笑む。

…街で見掛ければ、目を引く美人だろう。
ひょっとしたら声を掛けたかもしれない。
出来ればそういった形で会いたかった気もするが…逆に、この状況を良しとしている自分にも気付く。
この女になら全てを支配されても良いと、少なからず思っている自分に…。

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女「必要な時にこちらから連絡するから、余り遠くには行かないでね」
俺「分かったよ…」
女「それじゃ――」
俺「あぁ、ちょっと待ってくれ」
そう言って、去ろうとする女を引き止める。
1つ聞いておきたい事があるからだ。

俺「あんた…名前は?何て呼べば良い?」
一応、これから俺の"主"となる人間だ。
名前くらい知っておきたい。

女「名前ね…」
すると女は、小首を傾げて何か考えるような素振りをする。

俺「あぁ、俺は三井。三井卓也」

女「私は――舞よ。それじゃあ、ね」

そう言って、その女――舞はクルリと背を向け、更に山奥へと消えていった。

どこに行くのか、後を追いかけてみようかとも考えたが…止めておいた。
きっと姿を見失い、永遠に追いつけないだろうと思ったからだ。

俺は大人しく、来た道を戻って行く。

既に夜は明け、新しい朝が来ていた。




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